本日の1本 ヴァーサス・ゾンビ

 
 ゾンビが溢れかえるアテネの町では、生き残った者たちがゾンビとの闘いを続けていた。闘いに敗れ死んだはずのアルギリスは、なぜかゾンビにならず人間のまま生き返る。実は彼こそは、数千年前にゾンビと闘った勇者の生まれ変わりなのであった、、、というストーリーです。
 (以下、ネタバレありです。)
 
 なんと、「ギリシャ・ゾンビ」の続編であります。前作は豪快なゾンビとの闘いっぷりと、凄惨な人体(ゾンビ体)破壊描写、そして微妙なコミカルさが素敵な作品でした。
 一応、血みどろスプラッタ描写中心の映像と全編を覆うコミカルさは踏襲されてはいるものの、無理なストーリー展開が空回りし、前作の良さは台無しにされてしまいました。
 
 とりあえず冒頭のシーンに愕然。前作では主人公たちが逃げ込んだスタジアムがゾンビの大群に囲まれたところで終劇となったのですが、その続きなのか「大変だったね」みたいな感じでスタジアムから普通に出てくるのです。たった数人で数千人のゾンビを一瞬で全滅させたのか!
 そんな強い奴らが新たに仲間となる生者、あるいは抗争を仕掛けてくる生者との絡みを膨らませながら、ゾンビはまぁ次々と「破壊」していきます。
 特撮的にはたいしたことなく、ただ血糊だけを大量に使用してるような粗末なモノなんですけど、けれどそのスプラッタな感性は素晴らしいのです。
 
 車でゾンビどもを跳ね飛ばす。破壊されたゾンビたちの血のシャワー、首や腕もボンボン飛んでいくよ。
 
 
 しかし今作、アテネへの爆撃が迫るサイドストーリーを絡ませつつ、前作のエロ運転手アルギリスが実は人類を救う英雄であったという、あまりにもアホらしい展開を主軸に進んでいってしまいます。
 それがもうゴチャゴチャして何がなんだかわからない。ただ、アホらしさだけが前面に出てきちゃいます。こりゃ、ダメだ。
 
 古代ギリシャの出来事を重ねたりとか意味不明なSF展開なんかやらずに、普通にゾンビ映画として終わってればきっと佳作になったのではないか。
 そう思うと残念ではありますが、しかしこの残念感もまたギリシャ映画の魅力であるかもしれません。