本日の1冊 平成工場日記

 昭和の終わりの頃、学生時代のこと。サークルの後輩S君の下宿で酒盛りをしている際に、酔ったS君が日記を付けていることを告白した。そして、チラッとだけ見せてくれた。
 堅物のS君らしく政治や哲学を語ったり、逆に女性への悶々とした想いを語ったり。
 面白かったのでさらに読ませてもらおうとお願いしたが、酔いの醒めたS君の首が縦に振られることは無かった。
 しかし、チャンスが訪れる。S君が正月に実家へと帰省したときに、S君の下宿の鍵をこじ開けることに成功、侵入して日記をGETしたのである。
 いや、実に面白かった。
 日常の暮らしぶりを綴る合間に、社会への不満を哲学的に考察しているかと思えば、斜め目線で自身の思い出を振り返ったり、そして前述のとおり、女性への悶々とした想いが迸る。
 四畳半の部屋の中で展開する、女性に対する熱々の妄想。かなり森見登美彦的な世界である。
 その素晴らしい世界を堪能できたことは良かったものの、日記を読まれたことに気付いたS君は怒った。半泣きで、怒った。
 犯罪であると僕に詰め寄り、人として許せないとまで言われた。
 すまなかった、S君。だが反省はしていない。だって、面白かったんだもん。
 
 それから20年以上の歳月が経った先月のこと、なんと、S君の日記が出版されたのである。

平成工場日記 高学歴ワーキングプアが垣間見た社会の一断面

平成工場日記 高学歴ワーキングプアが垣間見た社会の一断面

 S君らしく、タイトルはシモーヌ・ヴェイユの「工場日記」を捩ったもの。
 一時期S君は滋賀県の工場で住み込みでバイトしていたのだが、その体験が記録されている。
 工場での陰々たる日常を綴りながらも、勤務時間外は読書に耽り、音楽へ想いを馳せる。
 知人でなければ面白さは半減するだろうが、S君の不器用な動きや言葉が想像でき、それがいちいち可笑しい。
 合間にさらっと発せられる哲学的な問いもまた興味深い。
 校正の賜物なのか文章もすっきり読みやすく、ただ同じような日々を綴ったものに関わらずさくさく読めてしまう。
 いやいや、なかなか面白かったよ。
 
 しかし、しかしである。
 この日記には女性を巡る妄想が綴られていない。誤った方向に昇華された性欲も感じられない。
 それがなければ、S君の日記としては魅力が半減、いや100分の1にも満たないだろう。
 S君よ、女性への熱い想いを語れ。あるいは、学生の頃の日記を出版したらどうよ。